ゴールドウインの歩み About

1950

西田東作、25才で富山県西部の小矢部市に、ゴールドウインの前身である「津澤メリヤス製造所」を創業

1952

一般メリヤスメーカーからスポーツウエアメーカーへと専業化

1958

オリジナルブランド「ゴールドウイン」の製品生産を開始

津澤染工を富山・小矢部に設立し、原糸から製品までを手がける一貫体制を構築

1961

野球用のウインネットアンダーシャツを発売

1963

10,000m²の敷地を取得し、近代的な鉄骨丸屋根の工場4棟を竣工

社名を「株式会社ゴールドウイン」へ改称

外国製の丸編機、靴下機、セット機など十数台の最新鋭機を導入し、生産体制を強化

「ゴールドウイン」のスキーウエアが全日本スキー連盟の推薦品に指定

1964

「ゴールドウイン」製品が体操、バレーボール、レスリングをはじめとする、国際大会の日本代表ユニフォームに採用される。日本人金メダリストの8割が着用

全日本水泳連盟公認AG水着製造指定工場となる

1966

中小企業合理化モデル工場としての取り組みが評価され、中小企業庁長官より表彰を受ける

1968

グルノーブルで行われた国際大会で、「ゴールドウイン」製品が採用される

メキシコシティで行われた国際大会で、「ゴールドウイン」製品が採用される

1970

フランスのスキーウエアブランド「フザルプ」と技術提携

販売、生産管理充実のためコンピューターを導入

1971

常陸宮同妃両殿下がゴールドウインの工場をご視察

移動式ショールームのジャンボバスが、販売促進活動のため全国を巡回

「フザルプ」のスキーパンツ“バックリングパンツ”を発売

1972

札幌で行われた国際大会で、「ゴールドウイン」製品が採用される

ミュンヘンで行われた国際大会の競技ユニフォームに「ゴールドウイン」製品が採用される

1973

60色から自由に組み合わせ可能な「ゴールドウイン」ブランドのスキーウエア、“フルチョイスシステム”を打ち出す

「オニツカ株式会社」(現:「株式会社アシックス」)と合弁で、大阪府大阪市に「株式会社ゴールドタイガー」を設立。トレーニングウエアの製造を開始

1974

“第7回テヘラン・アジア競技大会”で、「ゴールドウイン」製品が採用される

アメリカ・ロサンゼルスで開催された“NSGA ショー”に出展

「ゴールドウインスキー」が、“バックリングパンツ”を発売

1975

アメリカのアスレチックウエアブランド「チャンピオンプロダクツ」と技術提携

国内スポーツ業界で初めて、中国でのトレーニングウエア生産を開始

中国でダウンウエアのテスト生産を開始

1976

「株式会社ベルージアン」を設立し、イタリアの「エレッセ」スキーウエアのライセンス生産・販売を開始

ドイツ・ミュンヘンで開催された国際スポーツ見本市“ISPO”に出展を開始

1977

「チャンピオンプロダクツ」製品のライセンス生産を開始

1978

アメリカのアウトドア用品ブランド「ザ・ノース・フェイス」製品の輸入販売を開始

「エレッセ」のテニスウエアの輸入販売を開始

「ゴールドウイン」ブランドのアスレチックウエアを発表

1979

本社を東京都渋谷区に移転

長谷川恒男氏が「ゴールドウイン」製装備でグランドジョラスの冬季単独登頂に成功。“アルプス三大北壁”の冬季単独登頂を達成

「ゴールドウイン」初のユーザー向けイベント“ホワイトカーニバル80”を日本武道館にて開催

スポーツカジュアルを意識したオリジナルブランド「スポーツギャラリー」の製造・販売を開始

1980

東京都渋谷区に直営店“エレッセショップ”を出店

ゴルフウエアブランド「USPGA」とライセンス契約を結び、翌1981年に“U.S. オープンゴルフ”のライセンス生産を開始

中国でダウンウエアの本格生産を開始

1981

名古屋証券取引所第二部に上場

「アクアスキュータム」のスポーツ部門「アクアスポーツ」の輸入販売を発表

1982

アメリカのアウトドアブランド「フィルソン」の輸入販売を開始

1983

日米の一流プロを招聘し、国内初のマッチプレー方式による日米対抗ゴルフ“ゴールドウインカップ”を開催

ブランドプロデューサー、セルジオ・プリビテーラ氏を起用しGOLDWINロゴをリニューアル

セルジオ・プリビテーラ氏プロデュースのスポーツウエア「GWスポーツ」を発表

スイスのスキー&カジュアルウエアブランド「ジェットセット」のスキーウエア輸入販売を開始

アメリカのダンスウエアブランド「ダンスキン」の輸入販売を開始

ノルウェーのマリンウエアブランド「ヘリーハンセン」とライセンス契約を締結

「エレッセ」がスキーファッションショー“ジェッツ10”を開催

新素材“ミクロテックス”を採用したスキーウエア“ワンアクションワンピース”を発売

1984

サラエボで行われた国際大会に出場するリュージュ日本代表に、「チャンピオンプロダクツ」のウォームアップスーツを提供

「エレッセスキー」が、オーストリアのハンス・ヒンターゼア選手とアドバイザリー契約を締結

アメリカのスポーツウエアブランド「カンタム」とライセンス契約を締結

「ゴールドウイン」が“ワンアクションワンピース”を発表

「エレッセスキー」が“ボルボチーム”とオフィシャルサプライヤー契約を締結

1985

原宿駅竹下口に直営店“ウエザーステーション”を出店。アウトドアリテイル事業の第1号店となる

1986

防塵服をはじめとする特殊環境作業衣の開発・販売を開始

オリジナルアスレチックブランド「ダズ」を発表

オリジナルスキーウエア「ラナチューラ」を発表

世界を目指す陸上トップアスリートが所属する“ゴールドウイン・トラック・クラブ”を発足

1987

「エレッセ」の女性用ゴルフウエアの販売を開始

オリジナルスキーブランド「ボルペネーべ」を発表

ヨーロッパの強豪、スキーチームスウェーデンアルペンと「ゴールドウイン」がオフィシャルサプライヤー契約を締結

スキーヤー、海和俊宏氏とアドバイザリー契約を締結

スウェーデンのスキーヤー、インゲマル・ステンマルク氏とアドバイザリー契約を締結

1988

「エレッセ」のボルボスキーチームモデル“ジャンプデュープル”を発表

1989

オリジナルのアウトドアブランド「ラテラ」を発表

オーストリアのスキーブランド「フィッシャー」の輸入販売を開始

「ダンスキン」の日本における商標権を取得

「ヘリーハンセン」の直営店“オセアノ”を代官山に出店

イタリアのサッカーブランド「エネーレ」のライセンス生産を開始

社長・西田東作が藍綬褒章を受章

男性用ゴルフウエアに「エレッセ」ブランドで参入

オーストリアの「フィッシャー」ブランドのラケット取り扱いを開始

映画“彼女が水着にきがえたら”で、「ヘリーハンセン」のウエアが着用される

スポーツ選手のケア、サポートを行う「ゴールドウイン スポーツサポート」を設立

1990

「エレッセ」の日本における商標権を取得

ユーザー参加型イベントの企画・運営を行う「ゴールドウイン イベントサポート」を設立

フィットネスジムへインストラクターを派遣する「ゴールドウイン フィットネス サポート」を設立

1991

富山県小矢部市に“ゴルフ倶楽部ゴールドウイン”をオープン

プロゴルファー、森口祐子氏と「ゴールドウイン」が所属契約を締結

東京証券取引所第二部に上場

1992

オリジナルスイムウエア「エル・ティーポ」を発表

1993

イタリアのサッカーブランド「エネーレ」とライセンス契約し販売を開始

「エネーレ」が鹿島アントラーズとオフィシャルサプライヤー契約を締結

「ヘリーハンセン」が、“アメリカズカップ”に出場する“ニッポンチャレンジ”とオフィシャルサプライヤー契約を締結

東京都渋谷区松濤に新本社ビルが竣工

オリジナルスキーウエア「オウグ」を発表

原宿駅竹下口の“ウエザーステーション”を明治通りに移転し、本格的アウトドアショップとしてリニューアルオープン

1994

リレハンメルで行われた国際大会のアルペンスキー女子複合で、スウェーデンナショナルチームのペルニラ・ウイベルグ氏が金メダルを獲得

ジュニア向けサッカーウエア「ジーコズ・イレブン」を発売

アメリカ・カリフォルニア州に「ゴールドウインゴルフUSA」を設立

超々ジュラルミンを素材に使用したゴルフクラブ「CNCミルド」を発売

イタリアのアウトドアランド「シンクピンク」の販売を開始

1995

「ザ・ノース・フェイス」の日本と韓国における商標権を取得

「エレッセ」のテニスラケットを発表

「ゴールドウイン」ブランドのスポーツシューズを発表

“福岡ユニバーシアード”のオフィシャルサプライヤー契約を締結

東京証券取引所および名古屋証券取引所第一部に上場

プロスノーボーダー/アーティスト、マイク・バシッチ氏と「241」を発表

全日本スキー連盟のナショナルチームが「ゴールドウイン」とオフィシャルサプライヤー契約を締結

1996

「ヘリーハンセン」が、日本ライフセービング協会(JLA)とオフィシャルサプライヤー契約を締結

ハンマーバランス・システムの先駆けとなるゴルフクラブ“AVDP”を発表

1997

「ザ・ノース・フェイス」がサポートする大場満郎氏が、世界初の北極単独徒歩横断に成功

「エネーレ」がサッカーシューズを発表

「ゴールドウイン」のホームページを開設

「ゴールドウインゴルフUSA」が、“USオープン”および“US シニアオープン”とオフィシャルサプライヤー契約を締結

ゴルフクラブ“AVDP チタン”を発売

「ザ・ノース・フェイス」がフリークライマー、平山ユージ氏とアドバイザリー契約を締結

「株式会社ゴールドウインロジテム」を設立

「株式会社ゴールドウイントレーディング」を設立

「株式会社ゴールドウインエンタープライズ」を設立

長野で国際的スポーツイベントが開催された時期に、“ゴールドウインハウスHAKUBA”をオープン

1998

ゴールドウインのハイテック事業部が、品質管理・品質保証の国際規格“ISO9001”の認証を取得

「株式会社トヤマゴールドウイン」の新社屋が竣工

1999

富山県富山地区において、環境マネジメントシステムの国際規格“ISO14001”の認証を取得

「ザ・ノース・フェイス」がサポートする大場満郎氏が、世界初の南極単独徒歩横断に成功

障がい者福祉を支援する取り組み「北陸ウェルフェアゴルフトーナメント(現:寬仁親王記念杯 北陸ウェルフェアゴルフトーナメント)」への協力を開始

2000

オリジナルのスノーボードブランド「ブルーブラッド」を発表

世界で通用するジュニアスキーヤーの育成を目的に、「ゴールドウイン ナスターレース」の協賛を開始

社長・西田東作が、勲四等旭日小綬章を受章

新会長に西田東作、新社長に西田明男が就任

2001

「ゴールドウインアスレチック」より、女性向けトレーニングウエア“ベルボパンツ”を発表

ニュージーランドのラグビーウエアブランド「カンタベリー」の販売を開始

2002

優位性・独自性のある機能や素材の研究開発を促進するため、開発委員会を発足

「株式会社カンタベリーオブニュージーランドジャパン」を子会社化

静電気抑制ウエア“スタティックフリー”を発表

2003

三浦雄一郎氏による当時世界最高齢(70歳)でのエベレスト登頂成功をサポート

「株式会社ナナミカ」を設立

「ナナミカ」が「ザ・ノース・フェイス・パープルレーベル」の販売を開始

コールマン社よりライセンスを受け、アメリカのアウトドアブランド「コールマン」のアパレル製造販売を開始

2004

「株式会社ゴールドウインテクニカルセンター」が参画する“近未来宇宙暮らしユニット”が、“JAXA 宇宙パートナー制度の事業提案”に選定

ヨガのライフスタイルショップ“スロウフロウショップ& スタジオ”第1号店を港区外苑前に出店

2005

超軽量・遠赤外線インサーレーション“光電子プリマロフト”を使用した商品を発表

「株式会社テイースポーツ」を子会社化し「エレッセ」のシューズ事業を開始

「ザ・ノース・フェイス」が「ジュンヤ ワタナベ マン」とコラボレーションを発表

2006

ニュージーランドのアウトドアブランド「マックパック」の輸入販売を開始

全事業所と染色センターで“国際規格ISO14001”の認証を取得

花粉付着抑制機能・静電気防止機能を実現した花粉対策ウエア“ ポラン・シールド”を発表

スウェーデンナショナルチーム所属のアニャ・パーション氏が、トリノで開催された国際大会のスキースラロームで金メダルを獲得

2007

ナノテクノロジーで、汗臭消臭効果・抗菌効果を実現した高機能素材“マキシフレッシュ”を発売

イギリスのスイムブランド「スピード」とライセンス契約を締結

「カンタベリー」が、ラグビー日本代表の新デザインジャージを発表

「ヘリーハンセン」がサポートする海洋冒険家・白石康次郎氏が“ベルックス5オーシャンズ2006-07”で総合2位を獲得

「ザ・ノース・フェイス」がトレイルランナー、鏑木毅氏をサポート。“ウルトラトレイル・デュ・モンブラン2009”で3位入賞

2008

「スピード」がハイテク・スイムスーツ“レーザー・レーサー”を世界同時発表

JAXA 主管の“近未来宇宙暮らしユニット”に株式会社ゴールドウインテクニカルセンターが参画し、宇宙船内用日常服を開発。日本実験棟“きぼう”打ち上げミッションで土井隆雄飛行士が着用

総合ショッピングサイト“GOLDWIN WEB STORE”を開設

三浦雄一郎氏(75歳)のエベレスト2度目の登頂をサポート

国立極地研究所からの依頼で、南極地域観測隊用の防寒帽子・革製手袋を企画製造

「ヘリーハンセン」が、セーリング日本代表チームにオフィシャルウエアを提供

2009

着圧による血流促進に着目したオリジナルブランド「C3fit」を発表

2010

国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)と株式会社J-Spaceとのコラボレーションにより、「マキシフレッシュプラス」を採用したアンダーウエア“MXP”を発売

2011

運動時に優れたクーリング効果を実現するスポーツウエア「SoCool!」を発表

スポーティライフスタイルセレクトショップ「Saturday in the park」の第1号店を札幌に出店

カロリー消費を促すスポーツタイツ、アンダーウエア“カロリーシェイパー”を発表

「ブラックアンドホワイトスポーツウエア株式会社」を子会社化し、「ブラックアンドホワイト」ブランドのゴルフウエアグッズの販売を開始

2012

旅をテーマにしたセレクトショップ“THE NORTH FACE globe walker”の第1号店を京都に出店

富士山麓を一周するレース“ウルトラトレイル・マウントフジ”の特別協賛を開始

「ヘリーハンセン」がブランド初の旗艦店を原宿に出店

スポーツへの想いを込めた新しいタグライン“SPORTS FIRST”を発表

メリノウールを用いたアウトドアウエアブランド「アイスブレーカー」の輸入販売を開始

スイス・バーデンに「GOLDWINEUROPE AG」を設立

2013

「ブラックアンドホワイトスポーツウエア株式会社」がゴルフウエアブランド「アンパスィ」の展開を開始

三浦雄一郎氏率いる“MIURAエベレスト2013プロジェクト”をサポート。世界最高齢(80歳)で3度目の登頂に成功

ダウン(羽毛)を回収・精製・再利用する“GREENDOWN RECYCLE PROJECT”をスタート

スポーツフィールドに隣接したキオスク型ショップ“MOUNTAIN GEAR STAND”を北海道ニセコ(モイワ)に期間限定店舗を出店

2014

吸湿速乾性に優れ、衣服内をドライに保つ機能素材“ALPHADRY”の展開を開始

心拍数・心電波形などの生体情報を取得できるウエア“C3fit IN-pulse”シリーズの発売を開始

「エレッセ」が男子国別対抗戦“デビスカップ”日本代表チームとオフィシャルサプライヤー契約を締結

アウトドアフィールドに隣接した“THE NORTH FACE GRAVITY”を北海道ニセコに出店

2015

日本障がい者スポーツ協会とのオフィシャルパートナー契約を締結

日本車椅子バスケットボール連盟とオフィシャルサプライヤー契約を締結

タグラインであるSPORTS FIRSTの考え方を表現したWEB マガジン“SPORTS FIRST MAG”を開設

アウトドアフィールドに隣接した“THE NORTH FACE GRAVITY”を長野県白馬村に出店

アスレチックスポーツの多様なスタイリングを提案するセレクトショップ

“Athletic Dept.”を埼玉県富士見市に出店

「I:COLLECT」とのパートナーシップにより、どのブランドの服でも回収する新たな“GREENCYCLE”の取り組みをスタート

「Spiber 株式会社」と次世代タンパク質素材の実用化に向け、プロトタイプ“ムーン・パーカ”を発表

“第1回富山マラソン”にゴールドパートナーとして協賛

2016

コンディショニングストア“NEUTRAL WORKS. BY GOLDWIN”の第1号店を港区外苑前に出店

日本パラ水泳連盟とオフィシャルパートナー契約を締結

日本ウィルチェアラグビー連盟とオフィシャルサプライヤー契約を締結

海洋冒険家、白石康次郎氏による単独・無寄港・無補給世界一周ヨットレース“ヴァンデ・グローブ”の挑戦をサポート

「C3fit」が独自の縫製技術“スマートシームテクノロジー”を採用したロングタイツとゲイターを発売

2017

「ヘリーハンセン」の日本における商標権を取得

経済産業省より“2017年度健康経営優良法人ホワイト500”に認定

スポーツ庁より“スポーツエールカンパニー”に認定

日本障害者スキー連盟とオフィシャルスポンサーおよびオフィシャルサプライヤー契約を締結

日本ボッチャ協会とゴールドパートナー契約を締結

研究開発施設「ゴールドウイン テック・ラボ」を富山県小矢部市に開設

「ウールリッチ」の日本展開に向け、「株式会社ウールリッチジャパン」を設立し販売を開始

スポーツの振興に関する事業を推進し、すべての人がスポーツを等しく楽しめる共生社会の実現を目的とした「ゴールドウイン西田東作スポーツ振興記念財団」を設立

2018

「ウールリッチ」が旗艦店を東京南青山に出店

「ゴールドウイン」が初の旗艦店を東京丸の内に出店

「日本環境設計株式会社」と循環型リサイクルシステム“GREENCYCLE”をリニューアル

2019

三浦雄一郎氏(86歳)による、南米大陸最高峰アコンカグアの登頂およびスキー滑降への挑戦をサポート

渋谷区と“シブヤ・ソーシャル・アクション・パートナー協定”を締結

「カンタベリー」がラグビー日本代表2019年ジャージーを発表

「ゴールドウイン」が初の海外直営店をサンフランシスコに出店

“THE NORTH FACE LAB”を東京都渋谷区にオープン。“141CUSTOM”のカスタマイズサービスを展開

「ザ・ノース・フェイス」が構造タンパク質“Brewed Protein™”を使用したTシャツを発売

「ザ・ノース・フェイス」が構造タンパク質“Brewed Protein™”を使用したアウトドアジャケット“ムーン・パーカ”を発売

2020

「ザ・ノース・フェイス」が山梨県北杜市と地域活性化に関する包括連携協定を締結

新会長に西田明男、新社長に渡辺貴生が就任

「ゴールドウイン」が構造タンパク質“Brewed Protein™”を使用したセーターを発売

アスリートをサポートするスポーツ関連分野、服飾・ファッション分野を学ぶ学生と創業の地・富山出身の学生の奨学援助を目的とした「ゴールドウイン西田育英財団」を設立

「ゴールドウイン」が国内2店舗目の直営店を原宿明治通りに出店

「ゴールドウイン」が海外2店舗目となる直営店をドイツ・ミュンヘンに出店

環境省と“国立公園オフィシャルパートナーシップ”を締結

アメリカ・サンフランシスコのサングラスブランド「サンスキー」の販売を開始

白石康次郎氏による2回目の“ヴァンデ・グローブ”挑戦をサポート

2021

北海道・斜里町と“地域活性化に関する包括連携協定”を締結

「ザ・ノース・フェイス」が、スポーツクライミング日本代表にユニフォームを提供

東京で開催された国際大会のスポーツクライミング競技で、野口啓代氏が銅メダルを獲得

「ゴールドウイン」が海外3店舗目となる直営店を中国・北京に出店

ゴールドウイングループの健康経営宣言を策定

ゴールドウイングループの人権方針と調達方針を策定

2022

「株式会社カンタベリーオブニュージーランドジャパン」を吸収合併

“THE NORTH FACE CAMP” “PLAY EARTH KIDS” “NEUTRALWORKS. EBISU”を恵比寿ガーデンプレイスに同時オープン

“TCFDフレームワーク”に基づく情報を開示

石油由来の化学繊維に代わる環境配慮素材の製品開発を推進するため、「Bioworks」と資本業務提携“健康経営銘柄2022”に選定

ベンチャー企業との資本・事業連携を促進し、サステナブルな未来を創るためのコーポレートベンチャーキャピタル「GOLDWIN PLAY EARTH FUND」を設立

地球との遊びが生まれる公園“GOLDWIN PLAY EARTH PARK”を東京ミッドタウンと富山県富岩運河環水公園で開催

サイズアウトした子ども服を循環させるサステナブル・レーベル“GREENBATON”をスタート

「ゴールドウイン」が未来に向けた実験的プラットフォーム“ Goldwin 0 ”を発表

2023

“GOLDWIN PLAY EARTH PARK事業構想”の最初の開発地を富山県南砺市に決定し、“PLAY EARTH PARK NATURING FOREST”を発表

“コト事業”のさらなる推進を図るため、「株式会社PLAY EARTH PARK」を設立

「カンタベリー」がケミカルリサイクル素材を使用した、ラグビー日本代表ジャージーを発表

「フィッシャー」がGALA湯沢スキー場にスキー· スノーボードレンタル店舗“FISCHER SNOW BASE GALA湯沢”を出店

「ゴールドウイン」「ザ・ノース・フェイス」「ナナミカ」「ウールリッチ」で構造タンパク質“Brewed Protein™”を使用した製品の量産化が実現し世界同時発売

スウェーデンのプレミアム電動バイク「CAKE」の販売を開始

“健康経営銘柄2023”および”健康経営優良法人2023(大規模法人部門ホワイト500”に選定

2024

環境負荷低減に取り組む国際的な枠組み“ファッション協定(THE FASHION PACT)”に加盟

アメリカ・サンフランシスコのライフスタイルブランド「Allbirds®」の日本国内における独占販売契約を締結し、販売を開始

東京本社を港区北青山に移転。新たなパーパスとともにコーポレートアイデンティティを刷新

代表取締役会長 西田明男が「旭日小綬章」を受章

「ザ・ノース・フェイス」がスポーツクライミング日本代表に、世界初のCO2由来のポリエステルを使用したユニフォームおよびチームウエアを提供

オリジナルの家庭科教材“ 服の一生を考えよう” が、消費者教育教材資料表彰2024で優秀賞を受賞

創業の地・富山県と、県民サービスの向上および地域社会の活性化を目的とした包括連携協定を締結

世界初となる、二酸化炭素由来およびリニューアブル・バイオ原料からなる、サステナブルなポリエステル繊維向けサプライチェーンを構築

沖縄県・竹富町と地域社会の活性化を目的とした包括連携協定を締結

“FIS ワールドカップ男子モーグル”で「ゴールドウイン」の契約アスリート、堀島行真選手が日本人初の種目別総合優勝

当社従業員でパラスイマーの鈴木孝幸が、紫綬褒章を受章

2025

「健康経営銘柄2025」および「 健康経営優良法人2025(大規模法人部門ホワイト500)」に選定

アルパインツアーサービス株式会社を子会社化

“大阪・関西万博”のシグネチャーパビリオン“Better Co-Being®”のサプライヤーとして、アテンダントスタッフユニフォームをデザイナー・中里唯馬氏とともに製作

「ゴールドウイン」が関西初の旗艦店を京都に出店

自社製品の修理サービス後にクリーニングと保管までを請け負う“クリーニング・ストレージ”サービスを開始

「ゴールドウイン」の旗艦店“Goldwin Marunouchi”を移転リニューアルオープン

温室効果ガス(GHG)排出削減に関する国際的な認定機関である「SBTi(Science Based Targets initiative)」から2050年に向けた「ネットゼロ目標」の認定を取得

「ゴールドウイン」が北海道初の直営店を札幌に出店

1950

創業75周年を迎えて、この先へと向かうために。
創業者である西田東作の考えに想いを馳せる。

2025年、ゴールドウインは創業75周年を迎えた。スポーツは人々の幸せな暮らしの中に根づき、その楽しみ方もさまざまな形で広がってきた今日、あらためて創業の精神に想いを馳せる。「俺がやらねば誰がやる。」という言葉は、まるで機関車のような力強さを持っていた創業者である西田東作の意志であった。そこには彼が8人兄弟の末っ子として生まれ、戦争で男兄弟の多くを亡くし、家族や親戚は女兄弟と子どもたちばかりが残されたという生い立ちも関係していた。家族たちを養うための創業。亡くなる直前の父親から「残された者たちを頼む。」と言われたことが胸に焼きついていた東作の中に、どんな場面においても「俺がやらねば誰がやる。」という精神が生まれたのだ。現在、何事にも自分からチャレンジするゴールドウイン一人ひとりの中にも、その想いは受け継がれている。

さらに東作が言いつづけていた言葉がある。「目に見えるところは誰でも気を付ける。しかし見えないところに細心の注意を払うのがメーカーの良心だ。」 創業以来、この言葉がゴールドウインの社員全員の共通の価値観となってきたのは、それがゴールドウインのモノづくりの精神を表しているだけでなく、人としての心も表しているからだろう。製品の目に見えない細部にまでこだわるのはもちろんのこと、ともに仕事をする仲間やお客さま、ゴールドウインに関わる全ての人たちの気持ちに向き合い、寄り添うことが大切なのだというメッセージ。新しい挑戦や環境に配慮した生活などにより、人々が自分自身を高めることをサポートしていくというメッセージ。そこには、本質的な価値が込められている。東作の言葉は、今日も生きつづけているのだ。

歴史を振り返ってみると、創業前年の1949年に開かれた水泳の全米選手権1500mで、フジヤマのトビウオと呼ばれた古橋廣之進氏が世界記録で優勝し、戦後間もない日本に明るい話題をもたらした。その時、日本も平和になりスポーツの時代が必ず来ると直感した東作は52年、創業3年目にしてスポーツウエア専業メーカーへと切り替える。「古橋廣之進さんのニュースに触れ、やればできるんだという勇気が湧きました。だからこそ、いいモノを作りつづけよう。そう決意したのです。」 それは、今日のゴールドウインの礎を築く大きな決断となった。

東作は、こうも語っている。「私たちは、ただ単に製品を作りそれを販売するのではなく、何のために作るかをまず考え、スポーツウエアの本質を踏まえながら、常に斬新を求めなければならないと思うのです。また、名品と言われるものは、商品企画の段階から染め、編み、裁断、縫製、品質検査、営業という順路の中で、携わる全ての人が商品を愛し、慈しむ心の中から生まれてくるものです。」 安易に原糸メーカーに頼るのではなく、製品の目的から素材を開発する。まさしく意図があって糸を作る。その姿勢も、製品を生み出しつづけるメーカーの本質として、少しもブレることはない。

また東作は、常に将来のゴールドウインのあるべき姿を考えていた。「人にも企業にもロマンがない限り、将来の壮大な構図は描こうにも描けない。これは私のかねてからの考えである。しかし、ロマンは往々にして現実とはかけ離れた印象を受ける。『そんなことはできるはずがない』と、つい足もとを見つめてしまうからだ。照顧脚下は確かに大切なことである。だが同時に跳ぶ意識、ロマンが求められる。」その言葉は、この先を切り拓いていくゴールドウインの社員一人ひとりに向けてのエールとして、今も響いてくる。

75年という時を重ねて時代は変わり、人々とスポーツの関わり方も実に多様になってきている中で、ゴールドウイン創業の精神を、この先も一人ひとりがしっかりと受け継いでいくために。本書の中で、その歴史を振り返りながら、ゴールドウインの現在と未来について考えてみたい。スポーツの可能性について考えてみたい。これからの人間と自然環境の関係について考えてみたい。そこから100周年へと向かうゴールドウインの、次の歩みが始まるのだ。

1950

戦後の富山県、小矢部市。
津澤メリヤス製造所という小さな工場から、
ゴールドウインの歴史が始まった。

創業者の西田東作は、8人兄弟の末っ子として富山県津沢町の農家に生まれた。長兄と3番目の兄を戦争で亡くし、さらに終戦後は次兄も分家して実家に戻らなかったため、東作は必然的に一家の長として家計を支える立場に置かれた。みんなが、食べていくのに必死だった時代。紡績工場に勤務した経験があったことと、義兄が東京でメリヤスの技術者だったことから、メリヤス業を始めることを決意する。1950年(昭和25年)、冬に積もった雪がとける春には散居村の美しい田園風景が広がる、旧津沢町(現小矢部市)で創業。翌年法人化して社名を株式会社津澤メリヤス製造所として、今日のゴールドウインの歴史が始まった。約40坪ほどの工場で兵役時に負傷した義兄を工場長に、未亡人となった親類やメリヤス職人、そして近所の女性らを20人ほど集め、靴下や腹巻き、ベストやセーターなどを作りはじめた。文字通り、ゼロからのスタートだった。都市部と地方の格差が今より遥かにあった当時、この地から東京や大阪へと営業に出ていったことを考えると、都市部を拠点としていた他の企業に比べてどれほどのハンディを乗り越えたのか、その誠実さと粘り強さに想いを馳せる。そして現在もゴールドウインの根底に流れる、ファミリーを感じさせる温かく柔らかな雰囲気は、この創業時から今日まで受け継がれているように思える。

1952

まじめに、ひたむきに、いいモノを作りつづける。
登山ソックスの品質の高さが、評判になった。

モノのない時代にあって、最初は飛ぶように売れたものの、他の産地からきれいな製品が出回ると、返品の山となる。それを乗り越えるには、とにかくいいモノを作りつづけるしかなかった。まじめに、ひたむきに作ること。彼らの財産は、それしかなかった。そんな中で、登山ソックスの品質が評判になる。何よりも、原毛の産地にこだわった。けっして安くはないが、丈夫で長持ちする。その評価は、津澤メリヤス製造所のモノ作りの姿勢が認められた証だった。東作には、こだわりがあった。「目に見えるところは誰でも気をつける。しかし見えないところに細心の注意を払うのがメーカーの良心だ。」彼が言いつづけていたこの言葉は、ゴールドウインの土台を支えつづける大切な言葉となっている。著書『ゴールドウイン30年の歩み ―スポーツクリエイターへの道』の中でも東作が書いていたように、一度はいて穴のあく靴下より、何度はいても変わらない靴下がよい製品であることは今日でも理の当然であろう。「よそより一番高い靴下です。でも、はいてみたら一番安い靴下のはずです」という当時の宣伝文句に込められたゴールドウインの思想は、全ての製品に生きている。

1960

スポーツの中でも、まだ手が届きにくかったスキー。
ゲレンデで輝いていたセーターがあった。

1950年代から60年代、戦後の復興期を経て、レジャー型のスポーツとして多くの人々にとってはまだ手が届きにくいスポーツだったのが、スキーである。当然、スキーウエア自体も発展途上で、いわば日常着であるセーターやパンツを代用し、当時ヤッケと呼ばれていた薄手のジャケットで滑るのがあたりまえだった。それは体にフィットせず、十分な前傾姿勢すらとれない、まるでダブダブの割烹着のようだった。メリヤス製造からその歴史をスタートさせたゴールドウインにとって、スキーセーター作りは得意な分野であった。素材である糸選びから、編み方まで。セーターの機能性とデザインを追求していった。それは日常で着るセーター作りとは全く違うものになった。そしてゲレンデで、ゴールドウイン製のセーターを着たスキーヤーたちが美しく輝いた。その後、フザルプ(Fusalp)やエレッセ(ellesse)から機能美の概念を習得することになるが、ゴールドウインのスキーウエアにはこの頃から、審美性についての潜在意識が芽生えていたのだ。

1960

多くのスキーヤーたちに愛されたデザインと、 体にフィットして軽快な動きを実現したセーター。

1972年に札幌で開催されることが決まった冬季国際大会を前にして、人々のスキーへの関心はますます高まっていく。その人気とともに、ゴールドウインのセーターはスキーヤーたちの支持を集める。ラインで構成したダイナミックなデザイン。スキー場に映える明るい色彩。キャップや手袋、ソックスなどとトータルでコーディネイトできる幅広いラインナップが評判を呼んだだけでなく、体にフィットするセーターでありながら、腕の動きは極めて軽快さを保ち抵抗感を感じさせないなど、その機能性が高く評価されたのだ。競技に強く、ゲレンデを華やかに彩る。そして、その品質が認められ、アメリカやカナダにも輸出される。

1964

舞台は東京。日本が獲得した金メダルの約8割が、 ゴールドウインを着た選手たちによるものだった。

1964年、アジア初の夏季国際総合競技大会が東京で開催される。日本からは「東洋の魔女」と称された大松博文監督率いる女子バレーボールチーム、「体操王国」の名を広めた体操選手たち、ウエイトリフティングの三宅義信氏らが表彰台に上った。ゴールドウイナーたちの勇姿は、家庭に普及していた白黒テレビによって日本中に伝えられることとなる。この大会では、日本人の金メダリストの実に約8割が、ゴールドウイン製のユニフォームを着用。「より多くの選手にゴールドウイナーになってほしい」という願いを込めて、社名を「津澤メリヤス製造所」から「ゴールドウイン」へと変更してから一年、その願いは見事に現実のものとなったのだ。その背景には、何よりもモノ作りの確かさがあった。アスリートとスポーツウエアメーカーが出会い、選手と社員が一緒になって進める商品開発。“品質のゴールドウイン”の評判が口コミで選手たちに広がっていった。

© Mainichi Photo Bank

1964

大観衆の声援の中で、胸に日の丸をつける誇り。
ウエアを作る者の気持ちも選手と同じだった。

1960年代の日本にとって、東京で開催された国際大会は高度経済成長を象徴する出来事のひとつであり、インフラ整備による経済面の成長や国際的な地位の向上だけでなく、人々の生活や文化の面においても国民の意識を変革させる機会となった一大イベントであった。日本中が希望に満ちた明るい空気に包まれていた中で、ゴールドウインも東京で開催された国際大会での選手たちの活躍をきっかけに 、その後もさまざまな競技のさまざまなチームから依頼を受けて、ウオームアップスーツを作ることになった。大観衆の熱い声援を受けて、胸に日の丸をつけて戦う選手たちの顔は、誇りに輝いていた。その想いは、ウエアを提供したゴールドウインも同じだった。

1971

フランスのフザルプ社と提携。先進的な立体感とデザインが、スキーヤーたちの憧れとなった。

ゴールドウイン創業者の西田東作が1964年にヨーロッパ視察に出かけた際に、最も衝撃を受けたのがフランス・フザルプ社のスキーウエアとの出会いだった。初めての海外渡航となる視察で、東作は1カ月をかけてイタリアからオーストリア、ドイツ、イギリス、スイス、フランス、ノルウェー、そしてデンマークを回り、世界と日本の技術の差を自らの目で確認していった。その中で、インスブルックで行われた国際大会で、スキー世界最強国のひとつといわれたフランス・ナショナルチームのオフィシャルサプライヤーを務めていたのが、フザルプ社だった。当時、「スノーモード」と呼ばれた同社の最高級スキーウエアは身体の動きにジャストフィットする立体裁断を採用。曲線的な身体の線に合わせてカッティングしてあり、機能的で美しかった。その技術を会得したいという一心でフザルプ社に通いつめた東作の熱意が実り、ライバル会社との競争を勝ち抜いて提携を果たしたのだ。ゴールドウインの技術者たちは技術力の差に愕然としながらも、世界レベルのパターンや縫製技術の習得に精進を続けた。創業者の目は、常に世界を見ていたのだ。

1971

フザルプ社のバックリングパンツ。スキー靴に被せるスタイルは名品と呼ばれ、その後の流れを作った。

日本のスキーヤーたちに、はじめてバックリングパンツの素晴らしさを伝えたのが、フザルプ社だった。それは名品と呼ばれ、その後のスキーパンツの流れを作ることになる。それ以前は、パンツの裾をスキー靴の中に入れるスタイルが主流だったが、バックリングパンツの場合はパンツの裾にスキー靴のバックルを引っ掛けて、スキー靴に被せるスタイル。そのプロダクトは、あらゆるスキー靴にぴったりとフィットするように改良が積み重ねられていった。当時のスキーウエアとしては高価格だったにも関わらず、日本では見られない優れた素材、ヨーロッパならではの洗練されたデザイン性とも相まって、ゲレンデに旋風を巻き起こした。

1971

業界初の画期的な移動ショールーム、ジャンボバス。
ロゴが大きく入ったバスは、行く先々で注目を集めた。

ゴールドウインとフザルプのロゴが大きく入った、ジャンボバス。当時としては画期的な移動ショールームだった。サンプルを積んで、社員自らが運転して地方を回り、中では商談も行われた。そのデザインとともに、行く先々で人々の注目を集める。ブランドコミュニケーションという面からも、それまでになかった新しいスタイルといえるものだった。フザルプを象徴するフレンチトリコロールのカラーリングと大胆なグラフィックデザインのボディが、動く広告として全国を駆け巡った。

1978

1978年、ザ・ノース・フェイスの販売開始。
本物のアウトドアスポーツを伝えていく。

1966年、アメリカ西海岸で誕生した、ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)。60年代後半のアメリカで既存の支配的な体制や文化に対するカウンターカルチャーの真っ只中にいた彼らは、設立当初から独自性に満ちあふれていた。1968年、サンフランシスコから車で30分のバークレーに移転し、アウトドアギアの製造を開始する。学生の街であるバークレーという環境が、当時の若者たちのエネルギーを吸収し、このブランドの個性を育んだのだ。そこには、既成概念に挑戦する若者たちの熱気が満ちていた。そこで生まれた製品は優れたプロダクトであると同時に、生き方の表現でもあった。ゴールドウインは、78年に日本での輸入販売を開始する。厳しい品質基準、完全なアフターサービス、徹底した機能美の追求。世界中から高く評価されたアウトドアブランドは、日本でも瞬く間に広がっていく。アウトドアにテクノロジーを持ち込み開発された、高品質のグースダウンを惜しげもなく使用したクオリティの高いスリーピングバッグ。全てのダウンパーカの原型といわれる「シエラパーカ」。バックミンスター・フラー博士のジオデシック理論による世界初のドーム型テント「オーバルインテンション」など、現代のアウトドア用品のベースとなった数々の名品が生み出された。フラー博士の“Do more with less.”という考え方は、ゴールドウインの社内にも浸透し引き継がれている。

1978

軽量で、パッカブルな「シエラパーカ」は全てのアウトドアダウンジャケットの原型となった。

1969年、全てのダウンパーカの原型ともいえる「シエラパーカ」が発売される。ザ・ノース・フェイスの初めての商品がスリーピングバッグであったように、それはザ・ノース・フェイスのダウン加工の技術をベースに生み出された。冬季登山だけでなく、日常のアウターウエアとしても着用され、日本では初めてのダウンブームも巻き起こした。世界のアウトドアブランドのダウンウエアが目指すところとなったデザインで、現在でも多くの人たちに愛されつづけている名品である。一切の妥協を許さずに高機能を追求し、テクノロジーの限界に挑戦しつづけること。アウトドアから都市生活者までのさまざまな探究者の限界点を高め、それを押し広げつづけること。“NEVER STOP EXPLORING”という理念はブランドが誕生した当初から全ての製品の中に受け継がれ、これからも続いていく。

©︎ マガジンハウス

1979

アルプス三大北壁の冬季単独登頂に成功した
長谷川恒男氏を、ゴールドウインの製品が支えた。

1977年にマッターホルン北壁、78年にアイガー北壁、そして79年にグランド・ジョラスの北壁を制し、アルプス三大北壁の冬季単独登頂を果たした長谷川恒男氏。その中で、フランスとイタリアの国境にそびえ立つグランド・ジョラスへの挑戦に使用された装備を、ゴールドウインが担当する。スキーウエアの開発で培ってきた技術の高さを期待されてのことだった。それが、ゴールドウインと冒険家の関わりの始まりとなった。ヤッケ、オーバーパンツ、オーロンワンピース、セーター、ダウンジャケット、ソックス、ツェルト、シュラフなど。寒さから身を守る衣服をはじめ、ハーネスに至るまで一式が提供された。冒険家の命を左右する装備たち。そこには強力な信頼関係が求められる。それに応えるには、長谷川氏の要求を根底から理解するための探究心に満ちたコミュニケーション力と、信頼される製品を生み出すメーカーとしての技術力しかない。その進化は、いつの時代も人類の挑戦とともにあったのだ。長谷川氏とゴールドウインの共同作業は1年に及び、その挑戦を支え、感動を共有することとなった。

1979

高級絨毯に使用されていたオーロンという素材を応用して作られたのが、この「オーロンワンピース」だった。

ゴールドウインと長谷川恒男氏の関係は、極寒の地で求められる機能のレクチャーを受けることから始まった。一瞬で何もかもを凍らせてしまう常識を超えた空間では、地上における常識的な判断は命取りになってしまう。教えられては作り、さらに教えられては改善するという繰り返しが続いた。時を同じくして、画期的な乾式アクリル素材オーロンが発表された。弾力性や復元性から踏み跡が残りにくく高級絨毯を製造するのに使用されていたこの素材を、衣料用に応用して生まれたのが「オーロンワンピース」だった。一般的な、柔らかくて空気を含みやすい素材は、岩肌のような硬い場所で寝た場合、空気層がつぶれて体が冷える。カーペット素材の応用でこの問題を解決した。オーロンは、バルキー性や復元性に加え、その高い吸汗速乾性によりスポーツウエアの常識を変える。長谷川氏の挑戦も、これによって大きくバックアップされることになった。

1983

CIとともに自己表現のためのオリジナルブランド、 GW SPORTを発表する。

FILA、スターポイント、アクアスポーツなどのブランディングをはじめ、当時のスポーツモードの世界に数多くの神話を創り出していたクリエイティブディレクターが、セルジオ・プリビテーラ氏だった。ゴールドウインは1983年、彼を迎えて新しいコーポレートアイデンティティだけでなく、オリジナルブランド、GW SPORTの発表を同時に行った。プリビテーラ氏がプロデュースするGW SPORTは、ジョギング、ウインドサーフィン、モーターサイクル、スキーをテーマにしながらも、それまでの競技志向のものとは一線を画す、自己表現のためのコンセプトを体現していた。

1983

全てのものは、環境に応じて形づくられる。ノルウェーの厳しい自然が生んだマリンウエア、ヘリーハンセン。

ノルウェーの商船艦隊の艦長だったヘリー・ジュエル・ハンセン。37歳で船乗りをリタイヤした彼は1877年、フィヨルドに面した港町モスにオイルスキンクロス&キャンバス工場を設立する。プロ向けのオイルスキン製造を始めたその小さな工場こそが、世界で最も伝統ある防水衣料メーカー、ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)の起源となった。第1号の製品は、亜麻仁油を染みこませたセイルキャンバス製の消火バケツだった。細い路地沿いに民家が密集するモスにとって、火災対策は最優先事項だったのだ。創業の翌年にはパリ万博に特殊加工した防水コートのコレクションを出展し、当時としては画期的な防水性が話題となり最優秀賞を受賞する。その後もウェルダー縫製による世界初の完全防水ウエアの商品化や、現在のフリースの先駆けともいえる保温・断熱に優れた化繊素材ファイバーパイルの開発。そして当時のアウトドア産業に大きな衝撃を与えた、独自の防水・透湿素材ヘリーテックの開発など。ノルウェーの厳しい自然に培われた防水テクノロジーによって世界のセイラーたちからの支持を得てきただけでなく、現在では海から山までのさまざまなアクティビティを快適かつ機能的にサポートするブランドとなった。

1983

ヘリーハンセンの蛍光ウインドブレーカーがヒット映画の中で着られ、人気を集めていた。

1980年代のへリーハンセンブランドを代表するのが、蛍光ウインドブレーカー。蛍光色は、“海上で視認性のいいモノを”という発想から生まれた。使われた新しいポリエステルの素材は、直射日光を受けても変色しにくいものだった。その全てに、高い技術力が活かされていた。肩から袖のラインの細部の美しさにまでこだわったフォルム。通常の約3倍の太い糸を使った頑丈さ。さらに、チーム名を入れるマーキングシステムも導入され、若者たちはお揃いのチーム名を入れて着ていた。当時、大学ではヨット部、水上スキー部、ダイビング部などのマリンスポーツのクラブが人気を集め、マリンスポーツをテーマにしたヒット映画『彼女が水着にきがえたら』の中で着られたことでも注目を集めるなど、へリーハンセンはマリンスポーツのカルチャーにおいて象徴的な存在となった。

1984

競技スキーから、ショーアップされたスキーへ。
その楽しみ方は自由に楽しく広がっていく。

より速く滑ることを競う競技スキーから、空中に舞い、演じることを楽しみ、そして魅せるスキーへ。1984年、アクロバティックなスキーで多くの観客を魅了してきたボルボスキーチームのサポートをゴールドウインが始めた。その雪上でのショーアップされたスキーは、美しさと激しさをもってスキーそのものの魅力と楽しみ方を大きく広げていくことになる。それは、いわばフリースタイルスキーの黎明期であった。

1985

当時の商流では考えられない、スポーツ用品メーカーによる直営第1号店を原宿にオープン

当時、当社の主力製品はゴールドウインやエレッセに代表されるスキーウエアや、チャンピオンなどのアスレチックウエアで、全体の95%ほどを占めていた。1978年から販売を開始したザ・ノース・フェイスはごく一部の登山家から愛されているアウトドアブランドではあったが、認知度も低く、どんな製品が売れるのかもわからない状況の中、お客様との接点を作り、お客様の求めているものが何なのかを知るために直営店をつくることになった。ただ、当時の商流では直営店を持つスポーツ用品メーカーはなく、また小売業界からの風当たりも強く、様々な課題を抱えてのオープンとなった。店名もTHE NORTH FACEとすることで小売店から反発されることを懸念し、敢えてブランド名とは無関係の「WEATHER STATION」とした。この店が、後に当社が確立する直営店ビジネスモデル最初の1店舗目となった。

1986

クリーンな製造環境で使う防塵服「プロフェシオ」。
スポーツウエアの開発技術は、さまざまな分野に活かされた。

ゴールドウインがスポーツウエアの開発により培ってきた密閉性の高い縫製技術は、スポーツの枠を越えてその役割を拡げていく。半導体や製薬、食品工場などのクリーンルームで着用する防塵服「プロフェシオ」シリーズも、そのひとつ。体から出るパーティクルを透過しないのはもちろん、それ自体が塵埃を抑える機能性を持つと同時に、耐久性と運動性能を両立させた。近年、暑熱対策用としてのニーズから開発された「クリーンルーム用空調服®アウターベスト」は、クリーンルームではタブーとされていたモーターファン付きウエアである。ファンによって拡散する塵埃の動きを検証し、クリーンルームで使用可能な暑熱対策品として完成させた。評価用クリーンルームと開発設備を背景にして、妥協のない開発はこれからも続いていく。

1987

ヨーロッパの強豪、スキーチームスウェーデン アルペンをゴールドウインがサポート。世界に強さを見せつけた。

1987年、ヨーロッパの強豪国であった、スキーチームスウェーデン アルペンのオフィシャルサプライヤーとなる(現在は契約終了)。当時のスキーチームスウェーデン アルペンは、70年代後半から80年代にかけて「20世紀を代表する男子アルペンスキーヤー」と謳われたインゲマル・ステンマルク氏を擁していて、その後も数々のスター選手を生み出すことになる。女子アルペンスキーヤーではペルニラ・ウィベルグ氏やアニャ・パーション氏などのスター選手を輩出したスキーチームスウェーデン アルペン。圧倒的な強さを世界に見せつけた選手たちが着用していたウエアを一際輝かせていたのは、世界最先端といえる多色のプリント技術だった。強豪メンバーたちが揃って着た時に、その美しい柄はゲレンデで一層輝き、オーラを放った。それは1/100秒を争うための集中力を高めてマインドをたかぶらせる、審美性を極めたウエアだった。このプリント柄とビッグシルエットは、その後のスキーウエアのトレンドを作り出すことになる。トップ選手が国際大会で着用したウエアは、いつも多くのスキーヤーの憧れとなるのだ。トップチームとそれをサポートする情熱に支えられた関係は、いつの時代もスポーツをより輝かせる。

© AFP/AFLO

1989

アルペンからノルディックまで、種目特性に合わせた技術でスキーアスリートを支える、フィッシャー。

1924年にオーストリアで設立されたフィッシャー(FISCHER)は、世界有数のアルペンスキーブランドであり、ノルディックスキーのリーダー的存在である。“The Athlete’s Number One Choice”という理念のもと、アルペンからノルディックまで全てのスキーヤーをサポートしてブランドを育ててきた。同じスキーでも種目によって求められるものが違う中で、フィッシャーは軽さから生まれる滑走性の良さ、フレックスのバランスなど、それぞれの特性に合わせたモノづくりを実現する技術力の高さを誇っている。最新の「ノイズコントロールテクノロジー」では振動を抑えてターンを調律するという考え方で1/100秒の世界で戦うスキーアスリートたちの要求に応えたり、「バキュームフィット」というテクノロジーでブーツにも革新を起こすなど、常に最先端の技術を追求して製品のパフォーマンスを進化させつづけている。また2017年には東京・神田に日本初のフィッシャー直営ショップとして「FISCHER TUNING BASE」をオープン。ブランドの情報発信拠点として、販売からチューンナップ、プロレーサーに向けたサービスまでを行なっている。

© AFLO

1989

6カ国合同犬ぞりによる南極大陸横断エクスペディション。
南極点から、地球環境と平和へのメッセージが発信された。

1989年7月、アメリカ、イギリス、当時のソビエト連邦、中国、日本、フランスの6カ国から集まった6人の冒険家が遠征隊を組み、世界初となる犬ぞりによる南極大陸横断へと出発した。日本からは舟津圭三氏がメンバーとして参加した。冷戦下にあって、地球温暖化やオゾン層破壊なども国際的な問題として扱われる最中に行われた本プロジェクトの目的は、地球上で唯一国境をもたない大陸である南極大陸を国際協調で横断し、地球環境と平和の重要性を世界へ発信することだった。氷点下50°C以下にもなる外気温、50日以上続く地吹雪などを経て、220日間をかけ、クレバス帯や地吹雪などの危険を乗り越え、犬ぞりとスキーで大陸横断最長ルートとなる約6040kmを進み、全員が犬たちと無事に踏破するという現代でも類を見ない冒険となった。その冒険をザ・ノース・フェイスはギアで支えた。ゴール後に彼らが語った「人は民族や文化や国家に関係なく、共に生きていけます。困難を共に越えられるのです。」という言葉も「THINK SOUTH FOR THE NEXT」というプロジェクトに受け継がれている。それは彼らが南極点から世界へ発信したメッセージを基に改めて地球環境と平和について考える機会となり、現代社会の課題解決に向けてチャレンジスピリットとともに次世代へと継承されていく。

1991

「ゴルフ倶楽部ゴールドウイン」のオープン、トッププロと契約。
ウエア作りを超えたスポーツの提案が始まった。

ゴールドウインの歴史が始まった、富山県小矢部市。同市内の丘の上に、1991年にオープンした「ゴルフ倶楽部ゴールドウイン」がある。広大な自然を活かしたコースレイアウト。心身をリフレッシュする各種施設も充実したクラブハウス。そこは日本を代表するコースデザイナー加藤俊輔氏が設計した、北陸随一のゴルフ場である。そのコースは全体的にフラットだが、フェアウェイがうねり、ラフにはいくつものマウンドが仕掛けられている。そのため、距離の割に難度が高いといわれている。コースに加えて、ゆったりと利用できるさまざまな施設も、このゴルフ場の魅力である。年間を通して多くの大会が開催されている。また、ゴールドウインは女子プロゴルフ界を牽引したトッププレイヤー森口祐子氏との所属プロ契約を皮切りに、その後も小林浩美氏、不動裕理氏ともエレッセゴルフとアドバイザリー契約を結ぶ。現在は、トップレベルで活躍を続ける今平周吾選手とアンパスィでアドバイザリー契約を結んでいる。ウエア作りを超えて、これからもゴルフというスポーツの楽しさを広めていく。

1997

世界初の北極と南極の単独徒歩横断に成功した大場満郎氏。
ザ・ノース・フェイスは、装備で彼の冒険を支えた。

1997年、冒険家の大場満郎氏が実に4度目の北極単独徒歩横断の偉業を達成する。94年、95年、96年に続き、97年も大場氏の意見を取り入れ、ザ・ノース・フェイスのウエアを共同で開発。全103品、9アイテムの衣料が使用された。「無補給で全行程を乗り切りたい」という彼の要望に応えるため、軽く、強く、温度調整と速乾性に優れたウエアを初回の挑戦時から提供。その後、大場氏は冒険家として南極大陸の単独徒歩横断にも成功する。それは世界初の偉業だった。世界を代表する冒険家の極限の環境での貴重な体験は開発スタッフたちへとフィードバックされ、さらにその後の商品開発に役立てられていく。

1997

フリークライマー、平山ユージ氏。
その体ひとつで岩壁へと挑む彼をザ・ノース・フェイスが支えつづけてきた。

芸術的なクライミングスタイルで、世界を舞台に活躍したトップクライマーの一人である、平山ユージ氏。高校1年からクライミングを始め、19歳で単身フリークライミングの本場フランスへ渡り、フランスを拠点にワールドカップを転戦。好成績を残しトップクライマーとしてランクされる。1997年、アメリカ・ヨセミテ渓谷の1100mの大岩壁・エルキャピタンのサラテルートを2日間で完登。当時、前人未到の偉業を成し遂げた。2003年には再びエルキャピタン・エルニーニョルートにオンサイトトライを仕掛けた。08年には同じくエルキャピタンのノーズでスピードクライミングの当時の世界記録を更新。また、コンペティションの世界でも2度のワールドカップ総合優勝を飾っている。97年からザ・ノース・フェイスは平山氏の活動をサポートしてきた。ともに開発してきたのは、裸の状態と同じくらい自由に動けて、軽く、強く、そしてモチベーションを高めてくれるウエアである。その開発コンセプトは、現在のスポーツクライミング日本代表のユニフォームにも引き継がれている。その後も、平山氏はクライミングというスポーツの普及と若手の育成に努め、今では多くの人々が参加する人気のスポーツへと押し上げた。

2000

スキーで世界へ挑戦する子どもたちをナスターレース協会とともにサポートする。
N-POINT RACEとFIS ユース ジャパンカップ。

スポーツの楽しさや素晴らしさを通して、子どもたちが健やかに育つように。ゴールドウインは誰もが参加できる、アルペンスキーの技量を数値化してポイントを競うN-POINT RACEと世界につながるユース ジャパンカップを、ナスターレース協会を通じてサポートしつづけている。これら二つの大会はスキー競技の楽しさの普及やユース世代が世界を目指すきっかけ作り、地域スキー大会の活性化を目的としている。主催大会の成績上位者はカナダ・ウィスラーで開催されるウィスラーカップへ日本代表として派遣される。地元のN-POINT RACEからユース世界大会までつなげることで、スキーをする子どもたちが世界を意識し、成長と飛躍の舞台となるのだ。また、2000年から開催されているユース ジャパンカップは20年にFIS(国際スキー・スノーボード連盟)の公認レースとなり、海外からも多くの選手が参加。子どもたちに早くから国際レースの場を体験できる機会を提供している。それは参加した子どもたちにとって、生涯にわたっての貴重な体験となる。石井智也選手や安藤麻選手など、ジャパンカップを経て成長した選手たちが世界でも活躍してきた。

2005

ジュンヤ ワタナベ マンとザ・ノース・フェイスによる、機能とファッションの妥協のないコラボレーションが実現。

アウトドアの歴史そのものともいえるザ・ノース・フェイスの高い機能性を根底で支えているのは、機能をベースにした優れたアイデアと設計力、そして革新的な素材たちである。その開発姿勢に共感したのが、 ジュンヤ ワタナベ マン(JUNYA WATANABE MAN)の渡辺淳弥氏だった。製品の仕様や素材の使い方、防水設計や保温機能など、ザ・ノース・フェイス製品の機能は、ファッションの分野から見ても非常に興味深い題材であった。2005年より、ジュンヤ ワタナベ マンとのコラボレーションを行う。それはゴールドウインにとっても自分たちの仕事を見つめ直す、実に貴重な機会となった。製品に対する大胆さと緻密さ。自己規律を持ちながら、ゴールに到達する執念。他と同じものはやらない。誰も考えられないことを、考えて考えて考えぬいてカタチにする。スタッフ全員の想いが、渡辺淳弥氏と完全に一致している。そこに彼らのデザインの視座を強く感じたのだ。お互いに刺激を受けながら進めた高機能とハイファッションの妥協のない融合から、ひとつの新しい形が生まれた。当時、ほとんど見られなかったアウトドアとファッションブランドのコラボレーションの先駆者として、それは20年を経た現在も続いている。

2006

ニュージーランド生まれのアウトドアブランド、マックパック。
いいモノを作り、それを長く使うという哲学が生きている。

自然が豊かで、四季も楽しめるところが日本と似ている南半球の国、ニュージーランドで1973年に生まれたアウトドアブランドが、マックパック(macpac)。もともと山を愛し登山を楽しむ仲間たちが、自分たちで使いたいモノを作ることから始まった。ニュージーランドでは、ギャップイヤーの旅に出る若者たちが購入するバックパックとしても知られている。年間を通じてアウトドアアクティビティを楽しめるニュージーランドらしく、雨に強く、丈夫であること。そこには、環境にいいモノとは、長く使えるモノであるという哲学が生きている。自然を愛する国民性を持つ人々が、大自然の中でテストを繰り返しながら生み出してきたプロダクトの数々は、いずれも厳しい基準をクリアしたものばかり。その一番の特長は、素材にある。耐久性のある長繊維コットンと腐食や摩耗に強いポリエステルを混紡し、固く撚り上げたアズテックを採用。堅牢性と耐水性に優れた製品の誕生につながった。2006年よりゴールドウインが輸入販売をスタート。“簡潔であることは、複雑であることに勝る”の基本理念とともに、自然を愛する人々から大きな支持を集めている。

2008

ひとつの製品に愛着をもって長く使ってもらうために。
無駄な消費や生産を抑える、リペアに取り組む。

スポーツやアウトドア用途で使用する製品は過酷で厳しい使用条件の中にあり、使えば使うほど傷んでしまう。ゴールドウインは愛着をもって長く使ってもらうため、1979年からリペアに取り組んできた。中でもザ・ノース・フェイスでは1992年に担当者をバークレーの本社に派遣して、リペアの最前線でその技術とノウハウを体得した。そこではウエアだけでなく、当時まだ日本ではあまり行われていなかったテントや寝袋、バックパックなどのエキップメントのリペアも実に丁寧に実践されていた。新しい製品を購入してもらうだけでなく、ひとつのプロダクトに愛着を持ってもらい、より長く使ってもらうためのサービスを。製品の機能が損なわれたり、破損したりと、その状況は全て違う。ひとつひとつの製品にとって最良の方法を検討し、製品の機能回復のためのリペアを実現すること。ゴールドウイン全体でのブランドごとの取り組みがウエアの廃棄を削減し、無駄な消費や生産を抑え、自然環境を守る一助となるのだ。現在、ゴールドウインでは長くご愛用いただくための動線としてユーザーが直接ウェブからリペアを申し込める仕組みを構築し、対面で相談できるリペアサービスを提供する店舗も設置している。“製品にロングライフを”という考え方は、現在の「GREEN BATON」をはじめとした多くの活動につながっている。

© Michael Muller

2008

スピード社が開発したレーザー・レーサーが世界を驚かせ、それは社会現象にまでなった。

1928年、オーストラリアで誕生したスピード(Speedo)は、革新的な技術で数多くのトップスイマーをサポートし、世界のリーディングスイムウエアブランドとして圧倒的な地位を保持している。 ゴールドウインがスピードのライセンス事業を始めた翌2008年にハイテク・スイムスーツ、レーザー・レーサーが世界同時発表される。それはサメ肌を研究し、速さを追求して開発されたスイムウエア。強烈な締めつけを感じるほどの着にくさを伴ってまで速さを追求するという、発想の転換だった。「100分の1秒でも速く泳ぐ」という目的を叶えるために設計されたスイムウエアはスイマーのボディを流線形に整え、縫い目をなくしたことによって抵抗が大幅に軽減され、記録更新に大きく貢献。 その革命的な水着の技術は、スピード社の研究開発チームであるアクアラボとNASAをはじめとする国際的な研究機関との協力で生まれた。08年以降、レーザー・レーサーは世界中の水泳界に衝撃を与えることとなる。日本の水泳界においてもレーザー・レーサーを着るかどうかが議論を呼び、一着の水着が社会現象にまでなったのである。

2009

着圧という設計が、パフォーマンスを変える。
オリジナルブランド「C3fit」誕生。

身につけることでかかる着圧が身体機能と運動機能に働きかけ、身体全体をよりよいコンディションへと導き、あらゆる動きを快適にサポートする。“運動機能を着るウエア” というコンセプトから生まれたコンプレッションウエアが、C3fit(シースリーフィット)であった。発売は、2009年。血流を促進させることで、身体を動きやすくする。同時に身体機能をケアするので、運動時だけではなくスポーツ後のリカバリーにも適する。着圧によるパフォーマンスアップとケアという発想から生まれたC3fitは、数々のトップアスリートたちのパフォーマンスを支えているのはもちろん、スポーツシーンだけでなく日常生活の中においても多くのユーザーに愛用されている。

2010

宇宙ステーションでの長期滞在を想定した下着の開発。
スポーツウエアの開発が新しい素材を生み、宇宙へ飛び立った。

国際宇宙ステーション「きぼう」に長期間滞在し、さまざまなミッションをこなす宇宙飛行士。彼らが着用した宇宙下着に使用された機能素材が、マキシフレッシュプラスである。この画期的な素材は、ゴールドウインと国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)、(株)J-Spaceとのコラボレーション「宇宙オープンラボ」を通じて開発された。宇宙における微小重力下での中立姿勢など、地上とは異なる環境での要件が求められる。国際宇宙ステーションに長期滞在する宇宙飛行士は当然のことながら、地球での生活のように頻繁に着替えをすることができない。シャワーもなく、洗濯もできない宇宙空間においては、身体を清潔に保つために、抗菌性と消臭機能を備えた特殊な下着の開発が必要だった。ゴールドウインは、この課題に技術力で応える。それが、着るだけで汗のニオイや加齢臭を大幅に減少させる素材、マキシフレッシュプラスだった。その最先端の技術は、やがて一般のアンダーウエアとして発売されることになる。2010年、宇宙で培われた先進のテクノロジーを応用した下着、MXP(エムエックスピー)を発売。それは、清潔で快適な生活の提案につながっている。

© JAXA/NASA

2010

街とともに進化を続ける、原宿とゴールドウインのアウトドアブランドの共生。

1985年、原宿に「ウエザーステーション」という店名で第一号店を出店して以来、ザ・ノース・フェイスは日本の若者文化とファッションの中心地・原宿と歩みをともにしてきた。2010年以降は、異なる店舗コンセプトや空間演出をもつ複数の店舗を展開し、原宿の街に多彩な顔を持たせている。ファッション、音楽、テクノロジー、カルチャー。その入り口は多様であっても、最終的にはアウトドアや自然に興味を持つ人を増やしたい。そのための拠点として、原宿は常に最適な場所だった。現在、原宿エリアには登山の専門性に特化した「THE NORTH FACE Mountain」をはじめ、アーバンライフスタイルを提案する「THE NORTH FACE STANDARD」、女性向けアイテムを中心とした「THE NORTH FACE 3(march)」、初の子どものためのアウトドアショップである「THE NORTH FACE kids 原宿」、ミレニアル世代以降をターゲットにした「THE NORTH FACE ALTER」、アスレチックに特化した「THE NORTH FACE Sphere」と、ユーザーの用途やスタイルに応じて選べる店舗が揃う。さらに「Goldwin Harajuku」や「HELLY HANSEN 原宿」など、ゴールドウインの他ブランドの店舗も展開。好奇心に溢れる若者が集う原宿という街とともに、自然とアウトドアに親しむ人を増やしていく。ゴールドウインは、これからも街と共生しながら成長を続ける。

2012

メリノウールの可能性をアウトドアに。
アイスブレーカーがもたらした新たな選択肢。

2012年、ゴールドウインはニュージーランド発のメリノウール・ベースレイヤーブランド、アイスブレーカー(icebreaker)と独占輸入・販売契約を締結。世界中のアウトドア愛好者を魅了してきたこのブランドが、日本市場に本格上陸を果たした。アイスブレーカーが生まれたのは1995年。創業者ジェレミー・ムーン氏は、ある牧場主との出会いを通じてウールの魅力に気づき、ブランドを立ち上げた。自然の恵みを生かしたモノづくりを掲げ、ニュージーランドで健やかに育ったメリノ種の羊の原毛を使いながら、環境にも人にも優しいウエアを追求している。原料の出どころや生産背景を明らかにするトランスペアレンシーレポートの公開など、透明性のあるモノづくりにも取り組んでいる。素材の中心となるメリノウールは、柔らかな肌ざわりと優れた吸放湿性により衣服内の温度が快適に感じる点、さらには天然の防臭効果など、多くの特長を持つ素材。ゴールドウインはこのブランドを展開することで、合成繊維とは異なるベースレイヤーの選択肢を市場に提供。目的に応じたアウトドア用具の選択肢を拡大した。こうしたアイテムはアウトドアや旅先など幅広いシーンで活躍し、年々、愛用者を増やしている。メリノウールの可能性を広げてきたアイスブレーカーは、自然とともにある豊かなライフスタイルの選択肢として、今も着実に広がりつづけている。

2012

都市と自然をつなぐブランドの象徴として。
原宿店から広がった、ヘリーハンセンの進化。

1877年にノルウェーで誕生したセーリングギアブランド、ヘリーハンセンは2011年にアウトドアカテゴリーの展開を開始し、海に限らずさまざまなフィールドまでをカバーするトータルアウトドアブランドへと進化を遂げた。長年培ってきたマリンウエアの技術と、さまざまなフィールドで培われた経験と知見をもとに革新的なウエアを市場に供給しつづけ、都市と自然をシームレスにつなぐスタイルを提案している。そのブランドの進化を体現する場として、12年4月、原宿・キャットストリートに日本初の直営旗艦店「HELLY HANSEN 原宿店」がオープン。高機能なマリンウエアに加え、マウンテンパーカをはじめとするアウトドアコレクション、マリンをエッセンスとしたライフスタイルウエアを網羅的に展開。マリンの枠を越え、アウトドアや街へと広がるスタイル提案は、都市型マーケットへの本格的な展開に向けた大きな一歩となった。さらに13年には、葉山マリーナに「HELLY HANSEN ショップ」をオープン。23年には「HELLY HANSEN OCEAN HAYAMA MARINA」としてリニューアルした。海に面したマリーナ内にあるこの店舗では、葉山町に住む人々、そこに訪れる人たちをシームレスにつなぎながら、町や人々のライフスタイルを豊かにしていくフィールド型フラッグシップストアを目指す。都市とフィールド、それぞれの立地でブランドの世界観を発信しつづけるヘリーハンセン。その進化は、これからも続いていく。

© Miura Dolphins

2013

三浦雄一郎氏の世界最高齢によるエベレスト登頂。
3回の成功を、ウエアと装備で支えつづけた。

プロスキーヤーであり登山家である三浦雄一郎氏が、当時世界最高齢となる70歳7カ月で世界最高峰のエベレストの登頂に成功したのは、2003年。それだけでも快挙だが、その後も08年には75歳で2度目の登頂を、13年には80歳で再び世界最高齢記録を更新し、3度目の登頂を果たしている。70歳を超えてから、実に3回のエベレスト登頂に成功するという偉業。彼の挑戦を、ザ・ノース・フェイスはウエアとエキップメントでサポートした。数々の冒険に挑んできた三浦氏が、同世代の人々に元気と勇気を与えたいという想いを抱えてのチャレンジ。急激な温度変化への対応、素早い汗の処理、そして軽量化。さまざまな課題をクリアした装備が、この冒険を支えた。それぞれの製品たちの高い信頼性は、この究極の環境下においても明確に実証された。

© Miura Dolphins

2013

ザ・ノース・フェイスが、自然と人をつなぐフィールドショップを展開。
それは、国立公園の玄関口に広がる新たなアウトドア拠点。

多くの人々が自然に親しみ、アウトドアを楽しむきっかけを広げるために、ザ・ノース・フェイスは国立公園や国定公園に近接するエリアへの出店を進めてきた。2013年、北海道・ニセコに誕生した「THE NORTH FACE GRAVITY NISEKO」を皮切りに、15年には長野県・白馬村に「THE NORTH FACE GRAVITY HAKUBA」を出店。その後も石垣島、知床、箱根、屋久島と、国内有数のアウトドアフィールドの玄関口に拠点を広げている。こうした店舗では自然環境に隣接した立地を生かし、フィールドでの利便性を高めるサービスを提供するだけでなく、イベントやワークショップを通じてエキスパートからビギナー、子どもたちまで幅広い層に、自然と触れ合う機会を届けている。さらに、ゴールドウインは環境省の国立公園オフィシャルパートナーとして、体験ツアーや地域イベントをサポート。自然保護と持続的な利用の両面から、各地の店舗と連携し、自然の価値を発信しつづけている。

2015

「SPORTS FIRST」を創業の地から。
「富山マラソン2015」に、ゴールドパートナーとして初協賛。

2015年、ゴールドウインは創業の地・富山県で初めて開催された「富山マラソン2015」に、ゴールドパートナーとして特別協賛。地域とともに歩んできた企業として、大会を全面的にサポートした。本大会は、北陸新幹線の開業を契機に生まれた県民参加型のフルマラソン。高岡市役所前をスタートし、新湊大橋などの絶景を巡り、立山連峰の大パノラマを望みながら富山市の富岩運河環水公園へとゴールとするコースが大きな魅力だ。社員は、大会に参加しているアスリートのみならず、ウエアづくりや大会運営、それをサポートするボランティアとして多くが参加。スポーツを第一に考える “SPORTS FIRST” の理念を体現する場となっている。さらに、世代を超えて多くの人が集うこの大会は、ゴールドウインが取り組む循環型社会の実現や環境への想いを、地域やステークホルダーに届ける大切な場でもある。スポーツを通じて地域に貢献する、ゴールドウインらしい新たな形を示す機会にもなっている。以来、ゴールドウインは毎年、この大会を継続してサポートしている。

2015

未来をまとった試作品。Brewed Protein™の実用化へとつながる「MOON PARKA」を発表する。

2015年、ゴールドウインとバイオベンチャー企業のスパイバー(Spiber)は、スポーツアパレル分野における共同研究開発をスタートさせた。目指したのは、次世代の本命繊維素材とされる“人工タンパク質繊維”の実用化という、大きな挑戦だった。その第一歩として発表されたのが、ザ・ノース・フェイスとの共同開発によるアウトドアジャケット「ムーン・パーカ」だ。人工タンパク質素材、Brewed Protein™を使用した、世界初のアパレル製品として大きな注目を集めたが、プロトタイプとしての完成度には限界があり、量産・市販化には多くの課題が立ちはだかった。この壁を越えるべく、ゴールドウインとスパイバーは二人三脚で研究開発への取り組みを加速。4年にわたる試行錯誤の末に、市販化へとたどり着いた。Brewed Protein™ファイバーは、植物由来のバイオマスを原材料に用いて微生物の発酵プロセスにより生産されるタンパク質繊維のこと。植物由来の糖類を原料に、微生物発酵を通じて生み出されるため生分解性があり、既存素材、特に天然の動物繊維と比べて環境負荷も少ない。循環型社会の実現に貢献する次世代の素材として、大きな期待が寄せられている。「ムーン・パーカ」は、まさにその原点であり、未来へと続く挑戦の起点となった一着だ。Brewed Protein™によるザ・ノース・フェイスの本格的なコレクション展開へとつながる第一歩であり、プロトタイプから始まった構想は、いまや未来のアパレルを形づくる現実の技術へと進化を遂げている。

2015

共生社会の実現に向けて、パラスポーツを通した社会貢献への挑戦。

1964年の東京で行われた国際大会以来、ゴールドウインはアスリートとともにユニフォームの共同開発を手がけてきた。その歴史を礎に、2015年には誰もがスポーツに参加して楽しめる社会の実現を目指し、公益財団法人日本パラスポーツ協会とオフィシャルパートナー契約を締結した。長年培ってきた技術と知見を活かし、パラスポーツをはじめ多様なスポーツ環境の発展を支えてきたゴールドウイン。性別、人種、国籍、社会的地位、そして障がいの有無を超えて、誰もが尊重され、地域の一員として共に生きる共生社会の実現を目指している。パラスポーツは、その理念を体現するフィールドでもある。日本車いすラグビー連盟、日本パラ水泳連盟、日本障害者スキー連盟、日本ボッチャ協会などと連携し、アスリートとともにユニフォームを開発。ウエアを通じて競技を支えている。さらにスイムウエアブランドのスピードでは、パラアスリートと協働し、車椅子利用者も健常者も隔てなく使えるユニバーサルデザインのバックパックとウィーラーバッグを開発した。そこには“多様な背景を持つ人々が利便性を共有できるツールを”との思いが込められている。また、競技観戦の推進、各協会・団体へのスタッフユニフォームの提供、大会運営のサポートなど、現場に寄り添った支援も継続している。スポーツの持つ力を、全ての人へ。ゴールドウインはこれからも、スポーツの現場から社会の未来を切り拓いていく。

2016

アスレチックビジネスの可能性を拓く新業態、
「NEUTRALWORKS. BY GOLDWIN」。

ゴールドウインは2016年、“コンディショニング”という視点を主軸に据え、アクティブ&ヘルシーなライフスタイルを楽しみたい人を24時間サポートする、これまでにないコンセプトのスペシャリティストア「NEUTRALWORKS. BY GOLDWIN」を東京・外苑前にオープンした。新国立競技場をはじめ、多くのスポーツ施設が集まるこの地に誕生した同店は、“ココロとカラダをニュートラルな状態に整える” という独自のコンセプトを掲げ、現代人に向けた新しいスポーツライフスタイルを提案するストアだ。この発想の核にあるのは、カラダの力を自然に引き出し、日常のパフォーマンス向上と質の高い睡眠によるリカバリーをサポートするという“コンディショニング”の考え方である。これを体現するため、健康医学や睡眠マネジメントの知見を活かしたアクティブウエアなどを展開。後に販売を開始したスリープウエアなど機能性とデザイン性を兼ね備えたプロダクトに加え、店舗では「ROOMS」というフィットネスやコンディショニングサービスも提供。現在ニュートラルワークス.は全国に7店舗を構え、恵比寿店においては「ROOMS」のサービスも展開している。総合監修は、大阪府立大学名誉教授で医学博士の清水教永氏が担当した。健康医学や睡眠分野の研究開発を長年リードしてきた知見をもとに、一人ひとりが持つ本来の力を引き出す環境づくりを支えた。ニュートラルワークス.はスポーツが暮らしに根ざす時代に向けた、“スポーツとウェルネスの未来” を象徴するプロジェクトなのだ。

2017

最先端の研究と開発で、ゴールドウインの未来を形に。
「ゴールドウイン テック・ラボ」を開設。

スポーツウエア開発をさらに強化すべく、ゴールドウインは2017年、創業の地・富山県小矢部市に研究開発施設「ゴールドウイン テック・ラボ(Goldwin Tech Lab)」を開設した。すでに同地ではゴールドウイン テクニカルセンター(GTC)を拠点とした研究を重ねてきたが、より高度な技術革新を実現するため、最先端の設備と知見を結集した新たな施設として設けられた。テック・ラボには、物性評価、動作解析、人工気象室を使った環境シミュレーション、着装時のシルエット検証など、多角的かつ専門性の高い研究・実験を可能にする設備が揃う。施設中央には、製品開発の歴史を物語る機械や製品を展示。過去から未来へのつながり、テクノロジーと自然の調和、そして富山から日本、世界へと飛躍する志を体現している。象徴的な取り組みのひとつが、日本代表チームのユニフォーム開発である。トップアスリートの声や現場のニーズを反映し、パフォーマンスを最大限に引き出すためのウエア開発は、まさに現場発の技術の結晶だ。産学官連携や契約アスリート、サプライヤーとの共同研究を通じて得た知見は、ゴールドウインの知的資本として蓄積され、独創的な製品開発や企業価値のさらなる向上へとつながっていく。創業以来培ってきた技術に、先進設備とITを融合させ、常識を超える革新的なプロダクト開発を目指している。今後はアパレルにとどまらず、素材開発やデジタル技術を取り入れた新たなモノづくりにも挑戦していく。テック・ラボは、これからのゴールドウインを支える力強い原動力だ。

2018

未知への挑戦を共に歩む。
ザ・ノース・フェイスと写真家・石川直樹氏のパートナーシップ。

2018年、ゴールドウインは写真家・石川直樹氏とパートナーシップを結び、ザ・ノース・フェイスの高所登山用ギア提供を通じて、その挑戦のサポートを始めた。十代の頃から地球上のさまざまなフィールドを旅しつづけてきた石川氏は、01年に初めてエベレストに登頂し、ヒマラヤの魅力に取り憑かれる。その後、23年間をかけてヒマラヤ8000m峰を一つずつ登り、24年に14座の全登頂という偉業を達成。しかも、その全行程をフィルムカメラで記録するという唯一無二の表現を貫いてきた。石川氏の生き方の根底には、ザ・ノース・フェイスのブランドタグラインと同じ “NEVER STOP EXPLORING” がある。未知なる場所を追い求め、その旅の中で出会う自然の偉大さや美しさを写真に収め、後世に伝えつづけてきた。その精神は、機能性を追求したアウトドアウエアを軸にカルチャーやアートと響き合い、自然との共生を提案してきたザ・ノース・フェイスの理念と深く共鳴している。ザ・ノース・フェイスは、過酷な環境に挑む石川氏とギアを共同開発し、極限の条件下でも動きを支える高性能ウエアを生み出してきた。挑戦を共に歩む “伴走者” として、その活動に寄り添いつづけることは、ザ・ノース・フェイスにとって “未知への挑戦” や “自然への敬意” の表明でもある。

2018

オリジナルブランドの世界観を体現する初の直営旗艦店、「Goldwin Marunouchi」がオープン。

2018年、ゴールドウイン初の直営旗艦店「Goldwin Marunouchi」が、東京・丸の内の二重橋スクエア1階にオープンした。ゴールドウインは、スキーやアウトドアとともに歩んできた経験から、ミニマルなデザインと合理性・快適性・利便性が融合したプロダクトを提案するプレミアムスポーツブランド。都市と自然、オンとオフの境界を軽やかに越え、新しいライフスタイルを提案してきた。その新たな広がりを発信する場として誕生した「Goldwin Marunouchi」は、世界中から人々が集まるグローバルシティ、丸の内に位置する。都市と自然を結ぶ機会点として、ブランドの世界観をより豊かに伝え、人とスポーツ、日常生活がつながるコミュニケーションの場を目指した。店内では、スキー、アウトドア、アスレチック、ライフスタイルなど、幅広いカテゴリーを展開。自然と調和しながら、しなやかに動きつづける身体と暮らしをサポートするアイテムを取り揃えている。さらに25年6月には、丸の内・仲通りのブリックスクエア1階へと移転・増床。店舗は進化を続け、ブランドの世界観をより大きく発信する拠点となっている。

2021

スポーツクライミングの最適解を導く。
各国代表のユニフォームをゴールドウイン テック・ラボが製作。

2021年の国際大会で、スポーツクライミング日本代表が着用したユニフォーム。その開発の中枢を担ったのが、ゴールドウインの研究開発拠点「ゴールドウイン テック・ラボ」だ。ザ・ノース・フェイスは05年から日本代表チームへのウエアサポートを続けてきた。長年にわたり蓄積したノウハウをベースに、アメリカのザ・ノース・フェイスと共同で2年以上にわたり開発と科学的検証を重ね、競技の特性に応えるウエアを追求した。スピード、ボルダリング、リードという3種目の競技に対応するため、ユニフォームは「スピード用」と「リード/ボルダリング用」の2種類を製作。スピード用はダイナミックな動きや素早い足上げを妨げない設計で、リード/ボルダリング用は着用時のストレスを極限まで軽減し、登ることに集中できる設計を採用した。開発にあたっては日本代表選手全員に対し、3Dスキャナーによる採寸を実施。体型や動きに合わせたパーソナライズ化を図るとともに、選手へのヒアリングやフィードバックから得た情報をもとに、細部まで改良を重ねた。このユニフォームは日本代表のみならずザ・ノース・フェイスがサプライヤーを務めるアメリカ、オーストリア、韓国の代表チームも着用。東京の舞台では各国の選手たちが日本製ユニフォームに身を包み、世界の壁に挑んだ。そして24年、これまで積み上げた機能性に加え、リニューアブル・バイオ原料と二酸化炭素回収・有効利用技術(CCU)を活用したCO₂由来のポリエステル原料を、ユニフォームの一部に世界で初めて使用。持続可能性を目指すモノづくりが行われ、日本代表と韓国代表チームがこのユニフォームを纏って試合に臨んだ。

2021

日本の美意識を随所に。ゴールドウインが海外3店舗目の旗艦店を北京にオープンする。

ゴールドウインは2021年、中国初の旗艦店「Goldwin Beijing」を北京にオープンした。アメリカ・サンフランシスコ、ドイツ・ミュンヘンに続く3店舗目となる海外直営店である。中国における第一号店として選ばれた北京は、中国市場の中でも、ウインタースポーツの拠点として注目を集める都市だ。今後の欧米やアジアでの長期的な成長を見据えたゴールドウインのグローバル戦略を象徴する出店といえる。店舗デザインを手がけたのは、新素材研究所の建築家・榊田倫之氏。大谷石や日光杉、希少な神代杉、鉄材の製造過程で生まれる黒皮鉄など、日本の美意識を象徴する伝統素材を随所に用い、自然と調和する空間を創り上げた。まるで自然の中に足を踏み入れたように感覚が研ぎ澄まされる一方で、深い安らぎを感じられる特別な体験が広がっている。この空間で展開されるのは、日本の審美性を基盤に、細部までこだわり抜かれた繊細かつ機能的なゴールドウインのウエアだ。四季ある日本の自然の尊さを、プロダクトや空間を通じて中国のお客さまに共感してもらい、人と自然をつなぐ存在として、都市で暮らす人々と未来へ向けた共生を目指している。なお、北京店を皮切りに25年にオープンした京都店など、今後も新素材研究所との協業は続き、ブランドの世界観をより深く伝えていく。

2022

地球と遊び、未来を育てる。
「PLAY EARTH PARK」を東京ミッドタウンで開催。

創業70年という節目を迎えた2020年、ゴールドウインは未来に向けて、“PLAY EARTH(地球と遊ぶ)”というスローガンを掲げた。そこには、スポーツの原点である“遊び”を通じて、自然や環境と新たな関係を育んでいきたいという願いが込められている。自然と親しみ、遊び、学び、ともに生きること。それは、これからの時代にゴールドウインが果たすべき使命の宣言でもあった。その想いを具現化するプロジェクトが、22年4月に東京ミッドタウンの芝生広場で開催された体験型イベント「PLAY EARTH PARK(プレイアースパーク)」である。子どもたちとファミリーを対象に、六本木に出現した遊び場には、地球を構成する5つのエレメント「地/水/風/空/火」をテーマに、5人の建築家がデザインした全く新しい遊具が並んだ。エレメントの原理や象徴性を形にしたそれらは、“地球とつながる感覚” を育む、世界にひとつの遊具として来場者を迎えた。会場では、子どもたちの感性を刺激するワークショップも開催。さらに、ザ・ノース・フェイスやヘリーハンセンなどゴールドウインの5ブランドが、5人のアーティストやデザイナーとのコラボレーションアイテムを販売した。そして同年7月には、創業の地・富山へと舞台を移し、「PLAY EARTH PARK 富岩運河環水公園・富山県美術館」を開催。地域の自然や文化と融合した体験型イベントとして、“地球と遊ぶ” というメッセージを、より深く広く届けた。

2022

世界初の “使い捨てゼロ” に挑む「湘南国際マラソン」に、ザ・ノース・フェイスが協賛する。

湘南の海沿いを駆け抜ける「湘南国際マラソン」は、2022年の第17回大会より、世界で初めて “マイカップ・マイボトル方式” を全面導入した。参加者は自らボトルを携帯し、約200ヶ所に設けられた給水ポイントで水を補給。それにより、従来使われていた約50万個の紙やプラスチックカップ、3万本以上のペットボトルが完全に姿を消した。環境負荷の削減に挑む、かつてない試みだった。この革新的な取り組みに賛同し、スペシャルスポンサーとして協賛したのが、ザ・ノース・フェイスだ。自然とともに生きる姿勢を貫き、未来につなぐアウトドアのあり方を探求してきた同ブランドにとって、大会が掲げたスローガン“TAKE ACTION, BE BETTER”は、自らの理念と深く響き合うものだった。大会では、リサイクルペットボトル由来の繊維を用いた記念Tシャツと、繰り返し使える専用ソフトカップを参加者に提供。さらに、ボランティア用のスタッフジャケットも手がけた。会場内には、不要となったウエアを回収する専用ボックスも設置。回収品は翌年以降の記念Tシャツとして再生され、循環型社会への一歩を、実際のアクションとして形にした。ザ・ノース・フェイスが協賛したのは、単なるスポーツイベントではない。環境への想いを分かち合い、行動に移すランナーたちとともに未来を描く、共創の場だった。

2022

アップサイクルで “想い” をつなぐ、
サステナブル・レーベル「GREEN BATON」をローンチ。

子どもの成長とともに着られなくなった服。その多くがまだ十分に使える状態でありながらサイズアウトを理由に手放され、やがて廃棄されてしまう。そうした現実に向き合い、服の“その先”にある可能性を見つめ直す取り組みとして、2022年、サステナブル・レーベル「GREEN BATON(グリーンバトン)」を立ち上げた。本レーベルは、キッズ製品のリセールを通してファッションロス・ゼロを目指すもの。役目を終えた服を回収・買取し、リペアやアップサイクルを施したうえで、次に必要とする誰かへと “想いごと” つなぐ、新たな循環の仕組みだ。ローンチ時は、ザ・ノース・フェイスやヘリーハンセンのキッズアイテムからスタートし、現在ではジュニア用スキーウエアにも対象を拡大。これまで培ってきたリペアの技術に加え、製品のパーツを活用して新たなアイテムへと生まれ変わらせる「アップサイクル」にも取り組んでいる。リセール品は、グリーンカラーのジッププルやネームタグといったバトンのシンボルをあしらい、それぞれが新たなデザインが施された一点モノという新たな価値をまとって登場する。長く大切に使うという“ロングライフ”の考え方は、次代を担う子どもたちにこそ伝えていきたい価値観。「GREEN BATON」は、モノを大切にする心と責任を育む、未来に向けた静かで力強いアクションとなる。

2022

次代のゴールドウインをつくる、
実験的プラットフォーム Goldwin 0が始動する。

2022年、ゴールドウインの未来を探求する実験的プラットフォーム、Goldwin 0(ゼロ)が始動した。これは、単なる新ラインではなく、従来の服づくりの枠を超え、自然・科学・技術といった多様な視点から、ゴールドウインの可能性を拡張する挑戦の場だ。コンセプトの核となるのは、“循環” “越境” “共創” という3つのキーワード。サステナビリティを軸に、循環型社会の実現と自然との共生を目指す。商品デザインでは、自然とのつながりや遊びから着想を得て、ブランドの強みである高機能と、創造性・アート性との融合を追求。その表現はファッションの枠を超え、視覚・音楽・空間など多分野に広がり、アートプロジェクトとしても注目を集めている。展開されるのは、メンズ・ウィメンズの垣根を越え、カテゴリーにも国境にもとらわれない機能的な衣服だ。より自由な発想を求めて社外デザイナーを起用し、23年からはポートランドを拠点とするヌー・アバスがクリエイティブディレクターに就任。ラグジュアリーメゾンからスポーツブランドまで、多彩な経験をたずさえて参加している。素材と生産工程にも徹底してこだわり、スパイバーのBrewed Protein™をはじめとする次世代素材を積極的に採用。Goldwin 0は、次代のゴールドウインを形づくる、価値創出のプラットフォーム。常識にとらわれない挑戦が、新たな未来を生み出していく。

2024

サステナブルを考慮したシューズのパイオニア、
オールバーズと日本独占販売契約を締結。

2024年、ゴールドウインは、サステナブルを考慮したライフスタイルブランド オールバーズ(Allbirds)と日本国内における独占販売契約を締結した。
オールバーズは16年、サンフランシスコで誕生。メリノウールの革新的なスニーカー「ウールランナー」で注目を集め、ヒマシ油インソールやサトウキビ由来のソール、ユーカリ繊維のニット素材など、自然由来の素材を活用したフットウエアを展開してきた。製品ごとのカーボンフットプリントの可視化や、オールバーズ社として「B Corp認証」を取得するなど、環境への先進的な取り組みは世界中で高く評価されている。提携の背景には、ゴールドウインが掲げる長期ビジョン「PLAY EARTH 2030」との高い親和性がある。PLAY EARTHは、スポーツの原点である自然の中での遊びに立ち返り、社会・環境課題のアクションを呼びかけるもの。オールバーズは、その想いをともに体現するパートナーといえる。加えて、オールバーズの製品設計における環境負荷削減・可視化やパートナーとの協創姿勢は、ゴールドウインの他ブランドとも強い親和性を持ち、モノづくりの新たな可能性を広げる存在でもある。ゴールドウインは、オールバーズとの出会いを通じて、環境負荷を抑えながらより豊かで持続可能なライフスタイルの提案を日本国内に広げていく。

2024

海の極限を共に超えていく──
ヘリーハンセンと海洋冒険家・白石康次郎の挑戦。

2024年、海洋冒険家・白石康次郎氏は、単独・無寄港・無補給の世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ」を完走した。 フランスのレ・サーブル=ドロンヌを出発し、全長60フィート(約18.3m)の外洋レース艇で補給も寄港もなく地球を一周するこのレースは、総航行距離45,000km、約80日間にわたる「世界一過酷なヨットレース」と呼ばれている。この偉業の裏には、ヘリーハンセンと白石氏の長年にわたるパートナーシップがある。二人三脚でのウエア開発は06年「ベルックス5オーシャンズ」から始まり、16年、20年の「ヴァンデ・グローブ」を経て、今回で4度目。いずれもヘリーハンセンが最先端のセーリングウエアで支えてきた。暴風雨や極寒、過酷な紫外線など厳しい自然環境に対応するため、白石氏のフィードバックをもとに「ゴールドウイン テック・ラボ」で徹底した研究開発を実施。3Dスキャナー、モーションキャプチャ、人工気象室でのテストを活用し、アンダーウエアまで含めたフルオーダーメイドのギアを完成させてきた。その仕上がりは、世界一周を共にしても破けない堅牢さと、船上での軽快な動きやすさを両立。レースごとに新たな要素を取り入れ、進化を続ける唯一無二のギアだ。ヘリーハンセンのウエアは、白石氏と共に極限の海に挑み、共に進化を続けている。

2024

“人を挑戦に導き、人と自然の可能性をひろげる”
新パーパスと共に、東京・北青山に本社を移転する。

2024年、ゴールドウインは新たなコーポレートパーパス “人を挑戦に導き、人と自然の可能性をひろげる” を掲げた。このパーパスには、モノづくり・コトづくり・環境づくりを通じて⼈間の可能性を拡張し、自然をより豊かに育んでいくという姿勢が込められている。この想いを体現するため、コーポレートロゴを刷新。コーポレートロゴとブランドロゴを一体化し、国内外におけるプレゼンスをさらに高めることを狙いとしている。ロゴにあしらわれた雪の結晶のモチーフは、スキーとともに歩んできた歴史を象徴。挑戦を重ねて生まれる努力の積み重ねを示すと同時に、人と自然の調和や持続可能な未来への願いを表している。そして、一人ひとりが自らの中にある多様な結晶を育み、小さな一歩を重ねていくことで、より良い自然環境をつくる力へとつなげていく、そんな願いも反映されている。さらに、このパーパスを実現する拠点として、本社を東京・港区北青山に移転。スポーツの聖地・国立競技場に近く、青山や表参道という日本を代表するファッションシーンの中心に位置するこの環境で、世界に通用する新たなクリエーションを生み出し、グローバル企業としての発信力をさらに高めながら、未来に向けた挑戦を加速させていく。

© REUTERS/AFLO

2024

モーグル界の快挙 ──
堀島行真選手が、日本人初の種目別総合優勝を達成する。

ゴールドウインがウエアのサポートを行っているアスリート、堀島行真選手が2023ー24シーズンと24ー25シーズンに快挙を成し遂げた。23ー24シーズンにはFISフリースタイルスキー・ワールドカップ男子モーグルで、日本人として初めて種目別総合優勝を果たし、その歴史的な功績が高く評価され、公益財団法人全日本スキー連盟(SAJ)主催のSNOW AWARD 2024で最優秀選手賞に輝いた。25年には世界選手権で優勝を果たす。10歳から本格的にモーグル競技に取り組んできた堀島選手は、高校時代にFISワールドカップ開幕戦で3位に入賞し、「FIS公認ルーキーオブザイヤー」に選ばれるなど、早くから頭角を現してきた存在だ。22年の北京では銅メダルを獲得し、その後も着実に世界の頂点を目指して進化を続けている。堀島選手の挑戦を支えつづけてきたゴールドウインのアスリート支援。未来を担うアスリートたちを応援する姿勢はこれからも変わらない。

© REUTERS/AFLO

2024

ルーク・メイヤー率いるOAMCとゴールドウインが協業。
自然との共生、循環型経済へのコミットメントを理念に。

2024年9月、ゴールドウインはファッションブランド、OAMC(オーエーエムシー)との協業によるカプセルコレクションを発表した。パリを拠点に活動するOAMCは、ルーク・メイヤー氏がクリエイティブディレクターを務めるブランド。ワーク、ミリタリー、テーラード、ラグジュアリーといった要素を自在に横断しながら、クリーンで本質的なモノづくりを追求してきた。今回のコラボレーションでは、“自然との共生” や “循環型経済へのコミットメント” といった理念を出発点に、OAMCが得意とするモダンなクリエイティブと、ゴールドウインが長年培ってきた機能性や専門的な技術が融合。両者の美意識が細部にまで落とし込まれたコレクションが誕生した。ファーストコレクションとなった24年秋冬は、天然素材とテクニカル素材の融合をテーマに、ウールに防水膜と裏地を貼り合わせた3レイヤーの生地をオリジナルで開発。防水性、保温性、透湿性を兼ね備えたこの素材は、伝統と革新のクロスオーバーを体現している。また、撥水性を備えたリサイクルナイロン100%のアイテムなど、環境への配慮を意識した素材選びも特徴だ。25年春夏のセカンドシーズンでは、3レイヤーのテクニカルコットン素材を採用した軽量のアウターやパンツなどが登場。全てのアイテムには一点一点手書きのラベルがあしらわれ、OAMCとゴールドウイン、両者の哲学が刻まれている。

2025

創業の地・富山県に、自然と共生する未来型パーク「Play Earth Park Naturing Forest」の開発が本格化。

2027年に向けて、富山県南砺市に、未来のネイチャーパーク「Play Earth Park Naturing Forest(プレイアースパーク ネイチャーリング フォレスト)」の開発が進行している。舞台は桜ヶ池周辺に広がる約40ヘクタールの大自然。人と自然の新たな関わり方を探り、多様な体験を通して一人ひとりの “原体験” を育む唯一無二の場所を目指している。敷地は「パークエリア」「フォレストエリア」「ガーデンエリア」の3つのゾーンで構成される。「パークエリア」では、子どもたちが好奇心のままに野性を解放できる直感的な遊び場を用意。「フォレストエリア」には森を見渡す展望台や自然観察、宿泊用のコテージが整備され、訪れる人々に新たな視点と学びをもたらす。「ガーデンエリア」では多様な種が共生する広大な庭を再現し、七十二候を通して自然の営みを五感で体感できる。ヴィラやキャンプサイトも併設され、宿泊しながら自然と深く向き合う時間を楽しめる。さらに、衣食住をテーマにした「プラザ棟」では、自然と遊ぶのためのギアや地元食材を活かした食品などを展開。県産材を使った木造建築で、国内初の「Living Building Challenge」取得を目指すなど、環境への配慮も徹底している。この壮大な計画は「高野ランドスケーププランニング」をはじめ、国内外の第一線で活躍するクリエイター8組との協業によって進行中だ。人と自然の未来を切り拓く、かつてない体験と共生の場が、ここに生まれようとしている。

2025

関西初の旗艦店「Goldwin Kyoto」をオープン。
自然と共鳴する空間を、新素材研究所と共創する。

2025年、ゴールドウインの関西初となる旗艦店「Goldwin Kyoto」がオープンした。空間コンセプトは“風が通り抜ける建築”。入り口の前庭から坪庭へと正方形の花崗岩が敷き詰められ、外から内へと風が流れ込むような連続性のある空間を描き出した。店頭には大きな本御影石の器が配され、その静かで力強い存在が空間全体に凛とした空気をもたらしている。店舗デザインを手がけたのは、21年の北京旗艦店からブランドとの共創を重ねてきた新素材研究所。同事務所にとって、国内初となるゴールドウイン店舗の設計である。建具や壁面には、桐と竹などの自然素材を採用。しなやかに、たくましく伸びるその姿に、挑戦を続けて成長してきたブランドの姿勢が重ねられている。什器は、ゴールドウインの起源であるスキーから発想し、スキー場のリフトがデザインモチーフとして落とし込まれた。さらに、前庭と坪庭には蜷川石や木曽石といった自然石を配置。石の陰に飛来した種子が根を下ろし、芽吹き、育っていく。風化と成長が同居するその景観は、時の流れや自然の循環を物語る。店内では、ゴールドウインが追従する機能美と日本の美意識を融合させたアイテムに加え、ブランドの未来を見据えた実験的プラットフォーム、Goldwin 0のフルコレクションも揃う。 自然と都市、伝統と革新。それらをつなぐ新たな場所が、京都の地に誕生した。